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カメラと一緒に再発見の日々を


by pgek1207
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玉川上水―6 三鷹橋~宮下橋

2015.07.07

「玉川上水を歩いて」6回目です。

中流部(三鷹橋から浅間橋)区間中の三鷹橋から宮下橋までです。
朝、入谷の朝顔市・不忍池の蓮の花に行った後に直さんと一緒に三鷹駅から歩きました。

三鷹駅南口ロータリー(中ほどに三鷹橋)
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三鷹橋
玉川上水は三鷹駅のホームの下を斜めに横切っている。ホーム下にレンガ積のアーチ橋が架かり、レンガ橋と呼んでいたがホーム延伸工事で今は見ることが出来ない。
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・玉鹿石
太宰治の生地・金木村産の石。昭和23年6月13日、山崎富栄との入水場所付近に置かれた。

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むらさき橋
橋の上流約130mには堰堤がある。かっては最も水量豊富で流れの急な場所であって素掘りの水路は水面下の岸が削られ謎の洞窟が随所にあって、誤って落ちれば死体もなかなかあがらない場所として、人喰い川とよばれるほどであった。

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万助橋
安政年間(1854~59)に下連雀村の地主渡辺万助が創架したので万助橋と呼ばれる。初めは二つ割りした杉を投げ渡したものであった。
万助橋から下流の散策路は雑木林の風情や流路のカーブ、両岸の高低差など変化に富む。

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・井の頭恩賜公園
神田上水の水源だった井の頭公園は幕府の直轄地であった。御殿山の地名は、将軍家光が鷹狩の時に利用した仮御殿があったことに由来している。
公園内には、水生物園・弁財天社・「お茶の水」由来碑・御殿山遺跡碑などがある。弁財天そばには大盛寺があり、門前に珍しい人頭蛇体の宇賀神像がある。


ほたる橋
牟礼分水口跡
延享2年(1745)に牟礼村の水田用として開設された。現在の三鷹台団地付近を数条に分かれて流れ、利用された。
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幸(さいわい)橋
武者小路実篤旧邸がそばにある。
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新橋
小平監視所付近から武蔵野段丘の多摩川と荒川の分水嶺をほぼ直線に流れる玉川上水は、井之頭公園付近の万助橋から下流に入ると、しばらくの間流路が複雑に蛇行する。これは玉川上水の左岸にある井之頭池、そこから流れ出る神田川の谷が迫るため。特に「新橋」を超えると右岸は小高い丘が迫り、左岸は神田川方向へ急傾斜になっている。自然流下の水路は北側の谷を避け、斜面に沿って左右にカーブしながら長兵衛橋まで辿り着く。この区間の水路は深く掘られ、また右岸(南側)に比べて左岸がかなり低くなっている。
・この橋の下流・右岸で抱き合った太宰治と山崎富栄の二人の遺体が発見された。

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松影橋
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井の頭橋
創架は古く「上水記」では稲荷橋と呼ばれている。
袂には東京女子短期大学が建てられていた。この橋のやや上流から望む玉川上水沿岸風景は武蔵野の田園風景を漂わせている。

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若草橋
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宮下橋
明治年間からある古い橋。橋の南西側に牟礼神明社がある。このお宮の下にあることから橋名がつけられた。

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・牟礼神明社
この付近は三鷹市内では一番の高台(標高60m)で、戦国時代に砦が築かれ、陣内の鎮護のためお宮が祀られた。
境内には寛永3年(1850)に建立された巳待講燈籠がある。井の頭弁財天への道しるべと、村内安全祈願を兼ねたもので、もとは人見街道沿いにあったが昭和44年移転された。

三鷹台駅(京王井の頭線)
by pgek1207 | 2015-07-07 06:32